ソーシャルメディアの華麗な使いて☆マッカイ清美さん(1)〜アナウンサーへの道

カプア
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オーストラリアのゴールドコーストに住みながら世界中の人と自由に繋がってお仕事をしている!

ユーストリームの映像を見るととにかく元気!

どちらかというとIT音痴だった私にとって、ネットは必要な情報を検索するツールでした。

2009年頃からブログを書きはじめたときはドキドキでした。

それに・・・なんといってもツールの使い方がわからない・・・(^^;)

清美さんを知ったのは震災の前でしたが、ソーシャルメディアを自由自在に使いこなしている姿は華麗に見えました。

清美さんとの不思議な縁は大震災チャリティーイベントで繋がり今は身近な大好きな人です。

清美さんのお話を聞いていると、魅力的な人生を掴んでいるのがよくわかるのですが

ちょっと謎だったところをインタビューでお聞きすることができました。

 

〜コネなし、学歴なしでアナウンサーを選んだ理由はなんですか?

 

カプア

 

自信のかけらもなくて引っ込み思案な子どもでしたが、小学3年生のときに
担任の先生の「あなたは面白い」の一言で

「私っておもしろい人なんだ!」と思ったことが大きな転機でした。

 

その後も「話すことを仕事にするキーワード」がやってきました。

兄が無線をしていたので、私も子どものころから無線で知らない人たちと交流する世界を体験していました。

 

中学3年の頃にはカセットテープにBGMやDJ風の喋りを録音して文通していました。

だから小さい頃から「話すこと」が仕事になると思っていました。

 

 

〜アナウンサーになるには、倍率も高くて大変だとおもうのですが、どんなお勉強をされたのですか?

18歳で社会人デビュー。
展示会・博覧会ナレーターコンパニオンを経て、
イベント司会者へ転身。アナウンサー事務所に所属を認められる

 

私はアナウンサーになるための学校には行っていないんですよ。

 

アナウンサーの学校に行っても、みんなが同じことを勉強するから卒業しても

みんなと同じような話し方しか身に付かないです。

 

私にはコネもないし学歴もないからみんなと同じことをしても仕方がない・・・。

それよりもオーディションに受かる技術を身につけたかったんですね。

仕事に繋がる実用的なことを学びたかったんです。

たとえば、おかまバー。

あの人たちは、お客さんを話術で楽しませながらそれがお金になっている・・・。

 

商売になっている話術のプロから学ぶことは多いです。

私はお金を払って、おかまバーでお客さんとどんなやりとりをしているか見せてもらって

プロの話術を勉強させてもらいました。

 

 

〜仕事運がとても強いと思うのですが、その秘訣はどんなことですか?

アナウンサー事務所所属後オーディション1回目で地方局レギュラー
毎週2時間生放送情報番組レポーター座を勝ち取り
憧れジャニーズ事務所出身アイドルと共演を果たす
所属後オーディション1回目で地方局レギュラー
毎週2時間生放送情報番組レポーター座を勝ち取り
憧れジャニーズ事務所出身アイドルと共演を果たす
わらしべ長者的に人に恵まれ地方局から
全国放送レギュラー出演へと活動場を拡げる
競争率激しい番組オーディションをキャラクター
だけで勝ち抜きTBS,NTV,テレビ朝日など
民放各局テレビレポーターとしてスポーツニュース
旅番組クイズ番組情報番組
ワイドショーなど出演で全国を飛び回る

 

私は小さい時から願ったことは叶うということがわかっていました。

だからアナウンサーになりたいという夢も叶うと思っていたので迷いはありませんでした。

 

それに、私が社会人になったときは、バブルの頃だったので展示会や博覧会の仕事がたくさんありました。

プロダクションに所属してオーディションを受けて仕事をしましたが、どこかの企業に所属しないのがよかったですね。

 

オーディションに受かってどんどんくる仕事をこなすときには、商品や会社について勉強することになります。

オーディションに受かるたびに、今日はオーディオメーカー、来週はコンピューター・・・といろいろな企業の仕事をしたことで、

いろいろな知識が身に付いてオールラウンダーになりました。

 

〜英会話学校や投資といったアナウンサーとは違うジャンルの仕事をするときの決断の基準はなんですか?

転機は20代の頃、TV番組のインタビューで外国人選手への
英語のやりとりが出来ない事で大恥をかく。
その事件がきっかけで英語力強化への闘魂に火がつく。
英語力ゼロから翌日、駅前留学を敢行。
仕事の合間に英会話レッスンに通い続け
半年後にニューヨークに単身英語の
武者修行へ

 

私は20代のころから実用的なことしか学ばなかったし、話術で儲けて仕事を拡大していきました。

ジャンルの違う新しい仕事をするときも「ひらめき」です。

 

そして、ひらめいてビジネスをするときはリスクを調べないです。

ふつうは、新しいことを始める時はいろいろ調べますよね。

 

私はひらめいたあとに人やヒントを引き寄せ。

ひらめいたことは叶うとわかっていたからリスクは考えないです。

 

〜ひらめいたことが叶うという自信はどうしてできたのですか?〜

 

私は育った環境に恵まれていなかったから、必要なものはすべて自分で手にいれなければいけませんでした。

小さい頃から自分の欲しい物や理想はイメージでモデリングをしていました。

 

たとえば、宝の地図のビジュアル的なものという感じですね。

 

それは幼稚園の頃からです。

5才のときに飼っていたひよこが無事ににわとりに成長したのですが、

とさかの病気になって獣医さんから治らないと言われました。

そのときに治って欲しいから、治るように一生懸命願いました。

 

神社に願掛けにも行ったし、とさかの病気が治っているにわとりの姿を思い浮かべたらにわとりの病気が治りました。

そのときに、こういうふうに願えば叶うのだということを体験しました。

 

〜清美さんにとって仕事や、働くことの意味はなんですか?

アメリカへ語学の勉強に半年間行った後に、帰国後オーストラリア人パイロットと電撃結婚。

東京でレポーターを続けながら英会話学校運営、週末の婚礼司会で貯金と投資に明け暮れる。

複数の海外投資物件が当たり、妊娠を機会に海外でセミリタイアー。同時に放送界から引退〜

 

私は、早く自分の家を作りたかったんです。

働いたプロフィット(利益)は建てたい理想の家を叶えるために使いました。

この仕事で玄関ができた・・とか、

仕事の一つ一つが家のパーツになっていくイメージで仕事をしていました。

私の理想の家ってリカちゃんハウスなんですよ。

パパは音楽家でママはデザイナー・・・。

おしゃれでモダンでカッコいい!

 

〜なぜオーストラリアなんですか?清美さんは理想の妻・母像に縛られたことはありますか?〜

 

アメリカに語学留学して帰国したときに、東京でオーストラリア人の元夫と出会ったからです。

私はアナウンサーやレポーターの仕事で元夫は英会話学校の先生で、日本にいるときは仕事に明け暮れていました。

理想の妻・母像に縛られることは、日本にいればあったかもしれない。

そのまま日本にいたら子育ての公園デビューとか、日本の付き合いかたは合わなかったかもしれないですね。

 

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