一万人を超える鑑定(算命学・手相・周易・気学・タロット)☆永田智山さん(1)〜3度死にかけたあとは恩返しの人生

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筮竹を使う易、運命が唯一人の目に見えると言われている手相〜「私の運命はどうなっているの?読んで欲しい」

そんな方はぜひ、永田智山さんに鑑定してもらうとよいですね(^^)

智山さんとの出会いはFacebookのランチ会でした。

第一印象は・・・笑顔とパワーと好奇心の人!

 

筮竹占いの練習では袋に入れたものを当てるのよ」と聞いて思い出すのはリモートビューイング(透視)です。

 

だったらアベレージは高い・・・当たる!

 

もちろん杉並の素敵なお宅にうかがって鑑定してもらいました。

今回のインタビューは11月に出版される本の執筆でお忙しいときでしたが、

おいしいランチをいただきながらお話を聞かせていただきました。

 

〜【体育会系の家庭の中での変わった子】子どもにとって家庭は安心の場所ですが

  その中で一人だけ変わっているのは大変ではなかったですか?〜

 

 

 

 

 

 

 

 

何回か死にかけたが最初は1才になるかならないときの仮性コレラ。

この注射を打って効かなかったらお葬式の準備をしてくださいといわれてお葬式の準備までされちゃったの。

助かったのだけれど丸々と太っていた赤ちゃんだったのが痩せた子になっちゃった。

 

2回目は1才半ころに母がお客様の相手をしていたので、

一人でトイレに行ったけどロンパースがなかなか脱げなくてトイレに足から吸い込まれるように落ちちゃった。

「ママ」と叫んでツボから引き上げられたけど、それからは高所恐怖症、水恐怖症の恐怖症だらけの子どもになっちゃた。

 

父と母はスキーやスポーツ万能で、姉も小さい頃からバレーを習ったりスキーに行ったけれど、私は何もかもが怖い人間だったから近所に預けられました。

三人と全然違う。

高熱が出ても病院の前で母に「待ってなさい」と立たされて気絶したり。

 

弱いということをわかってもらえないのね。

 

内向的な子どもでしたね。

人と関わることが好きじゃなかった。

 

東京に出てきてからは、東京の水が合わずに体中に蕁麻疹ができるストロフスになったので、

小四のころからは夏休みになると一人で夜行列車や青函連絡船を乗り継いで祖父母のいる北海道に行っていました。

 

乗り合わせた大人にかまってもらったことでかわりました。

口を聞かないわけにいかないので突然変わった。

そのときにわかったのが「人というのは自分から心を開いていけば誰とでも友だちになれる」

汽車に乗るときとか珍道中の北海道への一人旅だったけれど、一人旅をしていなかったら内向的な子どもだった。

 

自分の中では嫌いなのに走らせると速い。

だからできるはずだと言う中で育つのは辛いよ。

マラソン大会に行けば学校に行かなくてサボれると補欠になる順番で走っているみたいな。

ズルをしましたね。勉強好きな子ではなかった。

 

 

友だち付き合いでは、小学校のときトランプ占いが流行ったときには鑑定に近いことをやってた。

みんながおもしろがってくれて寄って来てくれた。

びっくりしたね。誰でも当たるものだと思っていたから。

 

コックリさんはやって恐ろしくて二度とやらなくなった。

コックリさんをしたときには大国魂神社に行くことになっちゃった。子どもだからお狐様の鳥居があることを知らない。

 

「府中の大国魂神社に油揚げを持ってこい」と出たので、朝早くみんなで行くことになって、

行ってみたら本当に鳥居があったので油揚げを置いてみんなで「キャー」と逃げたの。

だから怖くて二度とやらない。

 

三度目に死にかけたときは18才のとき。

青森の親戚のうちで朝からイカ刺しとか生ものばかり出されていたら気持が悪いなと思っているうちに2日間の昏睡状態。

ドラマでカレンダーがペラペラとめくれたような気持で、目が覚めたときには自分の中では死んじゃった人の気分。

 

知らない人があっちで呼んでいるけれど、知らない人だから行かない。

気絶したときもそうだったけど、なぜ呼ばれているかわからない。

赤ちゃんのときとは違って食中毒のときは変な体験をしたと思いますよ。

 

早く自分が自由になりたいから、子どもの小・中学校のPTA役員はやりました。

役員を一通り終わってやれやれと思ったら夫の転勤で渡米。

日本での役員の経験から渡米したあとにPTAのお母さんたちに入るのは平気だった。

 

日本にいるときも好きだから鑑定をしてもらったり、勉強をしていた。

 

1991年〜1998年からサンタモニカに住んでいたときにも

霊感のある人や見える人に鑑定してもらいました。

 

アメリカでは占いに限らず、ペイント(お皿の絵付け)やステンドグラスを作ったり。読書(気学)もしていた。

 

だけど変な現象が起きたりしたのよ。

古い一軒家に住んでいたら、何かが庭を通過するのが見えた。

一緒にいたお友だちにも見えるのね。

イヤだから引っ越したこともあったけど、ここでは大自然に触れ合う機会が多かったし、もともと空を見るのが好き。

 

そんなときに娘はオーラが視えるのを知った。

木が揺れたりするのを見てキラキラとオーラが光る経験をしながら

「この子は何を言っているのだろう」と思いながら「娘は色まで見える。私は感じる」のに気づいた。

 

〜鑑定の仕事を決めた理由はなんですか〜

 

日本に帰ってから占い師と知り合い誘われる。

 

お店で知り合った人が占い師だとわかって会いにいったら

「あなたはそういう仕事にむくのだからやらないか」と誘われた。

 

私はひとつのことにはまると家のこともできなくなるので

夫に相談したら家の仕事をしなくていいといわれたので「口ばっかりじゃないかな?」と思ったけれど

「やってみたい」という気持で雇われた。

 

そのころはヨガセラピーの勉強をしていて、人が元気になることを将来的にはセラピーでやりたいと思っていた。

セラピーと占いで迷ったけれど、チャンスだと思って入った。

 

 

 

〜智山さんとって仕事ってなんですか?働くことの意味は〜

 

 

 

甘いのかもしれないけれどお金というより満足感が自分の代償になっている。

 

おもしろいくらいに、出版の話でも何でもパカパカ入ってくるのは、

 

スーパーのポイントのようにお金ではなくて徳を積んでいるからと言われたことがあるのね。

 

「お金ではなくて徳を積んでいる」

お金ではなくてあとから、人脈が入ってくる

 

鑑定でもお金以上のことをやるので身を削っているとは言われている。

 

 

 

 

 

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